いつからだっただろうか、手のひらほどの大きさの紙片を手に入れて以来、片時も手放さなくなったのは。紙の上半分には文字の書かれた跡が数行残っているので、手紙の一片だと思われる。隅には花柄の装飾が施されているが、色はくすんでいる。それでも元々は華やかな赤と青、金であったこと、この手紙にふさわしくあるために、時間をかけて細やかな仕事がされたことがうかがえる。それは一晩の間にのみ訪れることのできた夢の街を一つも忘れまいと、目に映る限り仔細まで書き記したときのようだ、再び訪れても思い出せるように。その手紙の欠片は、私が密かに憩うあの海辺に行こうと扉を開けると、風に飛ばされて来たのか、目の前にひとり落ちていた。そして、私は少しのことでこの出来事を口外することのないよう、波の裏側に隠した。
導かれるように踊り、導くべく舞う。踊り、踊らされるその冠は、どこで見つけられようか? 今もなお唱え続けているはずだ、目を覚ますための秘密の呼び声を。軽やかな歌のようだが、あれは歌声ではない。聞き届けられるその日を待つ、高らかな叫びだ。しかし、あまりにも視界が悪く、どの方角に向かって声を上げたら良いか判らない。かの者の言葉は、崩々になってしまったのだろうか? 残ったものをかき集め、読めるようになった文章は、いつかの一人、ないしはごくわずかな誰かに向けられたものだ。幾度も私の記憶を連れ去ろうとした最後の燎火は、未だ消えずにいる。その度に雲が分厚くのしかかって来るのを、一点を見据えて払いのける。この雲を越える。でたらめに方々を行くように見えるが、階段は確かに繋がっているのだ。
ようやく一歩踏み出すに到った。手紙は夜明けのためのものだ。手紙を書いたのは私であり、また書くのも私だ。かつて書いたものの一片を託されたのならば、かつてと同じようにしよう。言うなれば、これは「捧げもの」だ。欠けた言葉がそこにあるのならば、なお輝いているのであれば、忘れ形見とともに、今はここに。